REAL ME







T



寂しい、寂しい、寂しい━━。

シャワーを浴びながらぼーっと立ちつくした。

小さな頃からずっとずっと抱いてきた想い。

なぜかいつも満たされない心に必要なものは一体なんだろう。

寂しいよ。

誰か━━。










「ねぇ、そのマスカラどこの?」

「これ?なんだっけ、なんかファイバー入ってるヤツ」

夏は鞄からポーチを取り出すと、テーブルの上でバラバラとメイク道具をひけらかした。

「あ、これこれ」

「それ良さそうだね、私も使ってみようかな」

「超良いよ、ボリュームめちゃつくもん」

夏はマスカラを私に渡した。

私は夏から受け取ったマスカラを自分の睫毛に塗ってみる。

「すげー」

「でしょ、お勧め」

夏から借りたマスカラを塗った睫毛のお陰で私の目はいつもの2倍以上大きくなった気がした。



こんな会話が毎日繰り返される。

私は夏に憧れていた。

夏はスタイル抜群、どこへ行っても可愛い可愛いともてはやされる。

そんな夏の側にいると自分も綺麗になっていくような気がした。

夏の持ってる洋服、アクセサリー、時計、メイク道具…。

夏が身につけるものは何でも、夏を綺麗にさせる。

どんなに安いものでも、夏が身につけると高価なブランドものみたいに輝いて見えた。

彼女が良いという物は私も良いと思った。

彼女が好きという物は私も好きだと思った。

真似とかじゃない。

純粋にそう思える、彼女にはそんな魅力があった。




彼女は例え100人が間違っていると言っても、それを正しいことに変えてしまう。

夏にはそんな魔法のような力があった。




「優衣、今度買い物行かない?新しいパンプスとバッグ、買いたいんだよね」

「うん、良いよ」


そんな魅力のある夏が、自分のようななんの取り柄もないヤツを相手にしてくれるのが嬉しかった。

今まで取り立てて褒められたこともない、平凡な私と夏が友達でいてくれることが嬉しかった。

私とは違って、夏の周りにはいつでも人が集まった。

彼氏だってとぎれたことはない。

夏は本当に特別な人間だった。

夏といると自分まで特別な人間になったような錯覚に陥る。

きっと私は、夏と一緒にいる自分に酔っていた。




夏の好きな物。

シャネル、百合の花、冬。

どれもこれも夏に似合っていた。

「私、自分の名前嫌いなんだよね。夏って大嫌いだから」

夏はよくこんなことを言っていた。

「夏は冬が好きだもんね、反対の季節だね」

「そう、本当嫌」

夏は完璧主義だった。

いつでも自分が完璧であることを望んでいた。

それ故、自分の名前が「夏」であることを本当に嫌がっていた。

彼女にしてみれば、きっと何より許せないことだったんだろう。

「でも可愛い名前だよ」

私がそう言うと、夏はため息をついて答えた。

「可愛くないよ、それに可愛いかどうかは問題じゃない。私が嫌なの。それだけだよ」




夏はよく「私が嫌なの、それだけだよ」と言った。

夏が嫌なことは、私にとっても嫌なことになる。

だって、夏がそう言うと、本当にそれが嫌なことに感じるから。





夏と出会うまでは、私は一年の中で、夏だけが好きだったのに。

好きな物は?と言った類の問いには必ず「夏」と答えていたのに。


私の好きなものまで、夏は変えてしまう。

夏を嫌いになることで、夏のように成れる気がしていたから。





そう、私は夏になるために、夏を嫌いになった。







きっとそこで私は、唯一自分が好きだと言える物を捨ててしまったんだろう。



それで良かった。



夏になるために。



夏になって、寂しさから逃れるために。








U



そんな私にも彼氏が出来た。

ナンパで知り合った二つ上の人。

きっかけはどうであれ、私はその人のことを本当に好きになっていた。

洋くんだって、私のことが好き。

そんな自信があった。

私たちはほぼ毎日のようにデートを重ねた。

そんな毎日がすごく幸せで、満たされた。

「優衣、お前の好きな季節って何?」

いつものように智の家で過ごしていたある日、突然洋くんは私に聞いてきた。

「え?好きな季節?」

私はコーヒーを入れながら素っ気なく聞き返す。

「洋くんは?」

台所から二人分のコーヒーをテーブルへ運んで逆に聞き返した。

「俺は夏」

夏−。

私も、と言いかけて、ふっと夏のことを思い出した。

「私は冬」

「なんだ、真逆じゃん」

「そうだね」

「俺は冬嫌いだな、寒いしなんか寂しい感じするじゃん」

「何それ、女の子みたい」

私は笑いながらコーヒーをすする。

「冬が好きな奴にはわかんないんだよ、この気持ちは」

洋くんは少しすねたように顔をしかめた。

「分かるよ、寒いし寂しいっての」

「なんだよ、じゃなんで冬が好きなの」

「なんでって…」

私は少し考えて答える。

「友達が冬が好きって言ってて、私も好きになったの」

「夏って子?」

「え?」

「優衣の話にはいっつも夏って子が出てくるよ」

「そうかな」

「そうだよ」

私は笑って答えた。

「夏は私の親友なの。夏からはいろんなこと教えてもらったし、今の自分がいるのは夏のお陰くらい思ってる」

「夏のお陰ぇ?」

洋くんは声をあげて笑いながら言った。

「優衣の親みたいだな。夏って子は」

「そんなんじゃないけどさ。だって夏ってすごいんだよ。夏の言ってる事ってなんでも正しく感じるの、それに‥」

私が言い終わらないうちに洋くんは突然キスをして私の口を塞いだ。

「お前の友達のことはどうでもいいよ、俺は優衣のことが知りたいの」

「洋くん…」

私は洋くんに抱きしめられた。

そのままベッドに倒れ込む。

こうして洋くんと毎日一緒にいられる時間が何よりも幸せだった。

心が満たされる安心感。

私のことを知ろうとしてくれて、私ももっともっと洋くんの事が知りたくて。

今が一番幸せ。

昔の自分だったら、こんな風に思えるなんて考えられなかった。

誰かを好きになっても、いつも自信がなくて自分から殻に閉じこもっていた。

こうして素直に受け入れられるのも、きっと夏のお陰。


夏が私を変えてくれた。







私は洋くんの腕の中で、そんなことをぼんやりと考えていた。







V



今思えば、洋くんの言う通り私の話の中にはいつでも夏が出てきた。

だって、いつだって私たちは一緒にいたから。

いつだって私は夏を目標としていたから。

私が夏のことを話すのは、自然なことだった。


「優衣、彼氏とはうまくいってるの?」

「うん、おかげさまで順調だよ」

夏の問いに、私は少し照れながら答える。

「そっか、よかったね、ナンパだったし大丈夫なのって思ってたんだけど」

「心配してくれたの?ありがとう。夏は?」

私は久しぶりに夏の彼氏のことを訊ねた。

私が洋くんと付き合う前はよく夏の彼氏の話を聞いていたけれど、このところそう言った話をする機会がなかった。

「私はこないだ別れた」

「え、そうだったの」

別れたと言う割にあっさりとしている夏。

「なんか飽きちゃったからさ」

そう言って夏は長いスカルプをつけた指で煙草に火をつけた。

「そっか、飽きることもあるよね、夏には物足りない人だったんじゃない?」

「まぁね。でも次いい人見つけたんだ」

「マジで。どんな人?」

「バーで会った人なんだけどさ。とりあえず悪い人じゃなさそうだし、私のこと好きだとか言ってるから付き合ってみよっかなって感じ」

そう言ってふうっと煙をふきだす夏からは、今までとは違う香水の香りがした。

「夏はいいなぁ。もてるから。うらやましいよ」

「優衣だって、彼氏いるんだからいいじゃん」

「でも私は洋くんいなくなったら次すぐなんて見つからないよ」

「男なんて、その気があればすぐに捕まえられるよ」

「それは夏だからだよぉ」

「一人の人と長く続く方がいいよ、優衣は今の彼を大切にしなね」

夏にそう言われて私は嬉しくなった。

私のしていることが夏に認められているような感じがした。

きっとこのまま全てがうまくいく。

そんな自信と希望が溢れてくる。


夏と出会って、なんだか全てうまくいっている。

以前のように、寂しくて寂しくて心が空っぽになることなんて忘れてしまった。



夏、私冬が寂しくて嫌だなんて思わなくなったよ。

夏の言うとおり、冬が好きになった。

だって、今は夏や洋くんがいるから。

寂しくなんてならない。

夏は暑くて、汗かいて化粧も崩れちゃって嫌な季節だよね。






W


「洋くん、今度の洋くんの仕事の連休にどっか旅行行かない?」

今日も洋くんの家でデート。

一緒にいられるだけで幸せだけど、いつも家の中で会うばかりで二人でどこかへ出かけた事なんてない。

私は来る前に旅行会社からかき集めてきた大量のパンフレットを鞄から取りだして洋くんに見せた。

「旅行?いいね、どこ行きたい?」

「私は北海道かな」

「え、この寒いのに北海道かよ」

洋くんは苦笑いしながら私が手渡したパンフレットを見つめる。

「そうだけど…スキーとかスノボとか色々あるじゃん、夜は夜景が綺麗だって夏が言ってたんだ」

そう言うと洋くんはパンフレットから目を離し、私を見た。

「また夏?」

少し呆れたようにため息をつく。

「うん、それ聞いて行きたくなっちゃった」

「旅行、夏に行ってくればって言われたの?」

「え、そうだけど、でも私前から行きたいと思ってたし…」

私は洋くんの声のトーンが微妙に下がったことで少し遠慮がちに差し出しかけたもう一つのパンフレットを引っ込める。

「ごめん、北海道は嫌だったかな。洋くん冬嫌いだもんね」

「そういうことじゃなくて」

洋くんはまたため息をついた。

その瞬間から私は何も喋れなくなる。




怒らせちゃった。


どうしよう。




固まっている私に洋くんは静かに言った。

「優衣が行きたいなら、北海道行こうよ」

「本当?じゃあ…」

「でも」

洋くんは私の言葉を遮り言った。

「俺は優衣が行きたいなら、って言ってるんだよ。お前本当に北海道行きたいの?」

「え、どういうこと?」

「お前はいっつも『夏がこう言ってたから、ああ言ってたから』って、本当にお前はそうしたいのかよ?」









私は、夏の言うことは正しいと思っていた。

今でも思っている。

夏のこと信頼してるから、どこにもデートで出かけたことないって相談した。

そうしたら旅行を勧められた。

北海道はいいよって教えてくれた。

だから私はその通りにした。


だって、夏はいつだって彼氏とうまくいっていて、私なんかよりはるかに経験もあって。


夏の言う通りにしたら、洋くんと今以上に楽しく過ごせると思ったから。





洋くんはこう言った。




「俺は夏って子と付き合ってるのかよ」





そう言って出ていった。






どうして?




どうしよう。







夏、私どうしたらいいの?








鞄から残りのパンフレットを取り出す。

沖縄のパンフレットが出てきた。

北海道が嫌だったら、沖縄もいいかなと思って持ってきたもの。




だって、洋くんは夏が好きだから。

沖縄なら喜んでもらえると思ったから。

それに私も沖縄、行ってみたいと思ってたから。









どうして、このパンフレットを見せなかったんだろう。









握りしめたパンフレットに涙がこぼれ落ちた。




涙が出てきたのは久しぶりだった。










私は、声をあげて泣いた。











X



私が考えつく事なんて、夏の足元にも及ばない。

何の取り柄もない私なんかが考えたって、とびきり素敵な考えなんか浮かばないんだ。

だからいつだって夏を頼った。

夏はいつでも的確なアドバイスをくれた。


それなのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

私は夏みたいな女の子になりたいと思っていた。

だから、夏の好きな物や嫌いな物はみんな受け入れた。



私が唯一好きだった季節も、夏になるために嫌いになった。




だけど、私は夏にはなれなかった。




全然なれなかった。





私はやっぱり、特別な人間になんかなれない。





凡人は凡人でしかないのだ。










ねぇ、夏。




どうしたら夏みたいに素敵な女の子になれるの?







夏みたいになれたら、寂しいなんて思わないで済むんでしょ?




だって夏にはいつだってたくさんの人が集まってくる。







私はたくさんなんてワガママ言わないから。



ただ、洋くんだけは繋ぎ止めておきたかったよ。



それで十分幸せだったから。










だけど私にはたった一人の人を繋ぎ止める力もない。







洋くんと出会ってから、あまりに毎日が幸せで幸せで。




だけどその分失うのがすごく怖くて。





私はもっともっと夏になろうとした。













いつか洋くんが私に言った。


「優衣って名前、優衣に合ってる」

「なんで?」

「だって。優しい衣をまとってるって意味じゃないの?優衣は優しいから、名前の通り」

「何言ってんの、洋くんらしくない」

私は照れながら苦笑いした。

本当は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。







洋くんは始めから私のことを見ていてくれていた。

本当の私って一体何なの?

夏みたいになりたくて、無意識に自分を押し殺していた。

それでも洋くんは私のことを知ろうとしていてくれていたんだよね。



私ももっと洋くんのことが知りたい。

もっともっと洋くんに私のこと知ってもらいたい。









私は携帯を手に取り、リダイアルの一番最初に表示された洋くんへ、思い切って発信ボタンを押す。




プップップップ━━。



呼び出し音に切り替わり、コールが鳴り始める。









洋くん、出て。








私ね、本当は夏が大好きなんだよ。










お願い。









数回のコールの後、電話が繋がる━━。